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2007年7月25日 (水)

続・母校の近くにオタク発生中

前に続き。

ついに、Yahoo!ニュースでも取り上げられたよ。

 

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関東最古の神社に「らき☆すた」ヲタク殺到
 地元「治安の問題が…」

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聖地巡礼で「らき☆すた」ファンが掲げた絵馬=25日、埼玉県鷲宮町の鷲宮神社

 「古事記」時代以前に創設された関東最古の大社「鷲宮神社」(埼玉県鷲宮町)に今夏、アニメファンが殺到する異様な現象が起こっている。この神社が人気アニメ「らき☆すた」の美少女キャラが暮らす家と設定されたため、「聖地巡礼」のファンが押し寄せているのだ。アニメ雑誌の記事も拍車をかけ、閑静で神聖な神社町はコスプレ姿やカメラを手にTシャツ、リュック姿という「アニメオタク」(略称「アニヲタ」)が集まる町に一転。異色のアニヲタ絵馬も登場するなど、地元住民が気味悪がる事態となっている。

 社伝によると、鷲宮神社は天穂日命(アメノホヒノミコト)らを祀った古代の大社で、日本武尊(ヤマトタケル)や坂上田村麻呂らが東征の際に奉祀したり、鎌倉幕府を開いた源頼朝も武運長久を祈ったといわれる。

 この由緒ある神社にアニヲタが集まり始めたのは今年4月から。当初は参拝客に混じって数人が来訪する程度だったが、アニメ雑誌8月号に「『らき☆すた』的聖地探訪」との特集記事が載った7月以降、ファンが急増する事態となった。

 「らき☆すた」は美水かがみ作の4コマ漫画で、ゲームやテレビアニメに取り上げられて人気が爆発。

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 アニメ「らき☆すた」は、泉こなたと柊かがみ、つかさの姉妹、高良みゆきの女子高校生4人がメーンキャラクターで、通学する高校のある埼玉県春日部市周辺が舞台。恋愛もの中心の美少女アニメとは異なり、女子高校生のありきたりな日常をまったり描くことで熱狂的なファンをつかんでいる。そして柊姉妹の住まい「鷹宮神社」のモデルがこの鷲宮神社とされている。

 アニメ雑誌の特集記事では、鷲宮神社を「かがみとつかさが暮らす神社」、東武伊勢崎線鷲宮駅を「かがみとつかさはここから学校に通っているんだよ」などの記事を地図入りで紹介。さらにオタクの聖地・秋葉原からのアクセスも掲載された。いつしか神社には雑誌の付録「『らき☆すた』遠足のしおり」を手にしたファンが押し寄せるようになり、美少女のイラスト入りで「こなた大好き」「かがみのお見舞いに行ってきます」「こなたはオレの嫁。アハッ、アハッ、アハッ…」など、場違いな願い事の書かれた絵馬まで掲げられるようになった。また、アニメに登場する鳥居の前でキャラクターになりきり、同じポーズで記念撮影を行うのが“聖地巡礼”の作法になっている。

 

神社を訪れていた

立正大学4年生

杉本一樹さん(22)

こなたと同じ場所で踊ってみようかなと思ってやってきました。本当にアニメと同じなんですね」

と、同じ空気を吸って感無量のようす

また

千葉県から来たという

10代の男性

「ここに柊姉妹が住んでいるんですね。巫女姿の女の子に逢いたいな」

と話す。

 こうした予想外のフィーバーぶりに地元住民からは賛否両論が。神社前で喫茶店「大酉茶屋わしのみや」を営む坂田圧巳さんは「特に問題はなく、利用者が増えて有難いこと。町でもグッズやキャラクターを出していければ」と期待、地元商工会でもブームを生かす方策が検討されているという。

 その一方で、慣れないいでたちの若者に奇異の目を投げる住民も。隣接する久喜市の住民は「我ら久喜市民のHP」で「非常に心配なことがある。それは治安の問題である」「近所の学校では不審な方が最近多くなっているから気を付けようという話がでている」と記述、不安を募らせる面もある。

 

 アニヲタが殺到した神社といえば、1993年度「講談社漫画賞」受賞作品を原作とする人気アニメ「セーラームーン」の舞台、東京・麻布十番の氷川神社が有名。同作品では主要人物・「セーラーマーズ」こと火野レイが巫女を務める「火川神社」との設定で、神社のほか麻布十番の商店街や公園、ゲームセンターなども「聖地」とされ、多数のファンが押し寄せる不可解な社会現象が起こった。当時は舞台が都心とあって地元の対応は冷静だったが、今回はなかなか見かけないアニヲタの急激な大量出没に地元が戸惑いを隠せないのが現状だ。

 当の鷲宮神社はアニメとは関係なく、さらに大きな混乱もないため、騒動はネット上でのことと静観の構えをみせている。

(Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 関東最古の神社に「らき☆すた」ヲタク殺到 地元「治安の問題が…」)

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とりあえず、

絵馬全部焼き捨て

立正大学4年生

杉本一樹(22)

千葉県から来たという

10代の男

は、見つけ次第、国外追放

 神社前の喫茶店「大酉茶屋わしのみや」は俺も知ってる。少し前にリフォームして綺麗になった。。。キャラクター商品とかはやめたほうがいい。いろいろ。まずいことになるからね・・・・。

少し前に、課題で鷲宮神社のことについて調べたことがある。それを載せる。

 

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[鷲宮神社の歴史]

 関東最古の大社である鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)は、埼玉県北葛飾郡鷲宮町に鎮座する。かつては鷲大明神(わしのだいみょうじん)、浮き島大明神ともよばれた。中世の資料には「鷲宮(わしのみや)」と表記されることが多く、『新編武蔵風土記稿』には「鷲明神社(わしのみょうじんしゃ)」とある。

 御祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱。

 社伝によれば、天穂日命が東国を開拓するために武蔵国に到着した天穂日命のお供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。その後、日本武尊の東国平定の際、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命を祀ったという。延喜式神名帳や国史での記載はない。

 景行天皇の御代には日本武尊(やまとたけるのみこと)が社殿を造営し、桓武天皇の御代には坂上田村麻呂〔さかのうえのたむらまろ〕が武運長久を祈り、奥州鷲の巣に当社の分社を祀ったと伝える。

 この地は古くから土師部(はじべ)が住んでいたとされ、鷲宮という名も「土師宮(はじのみや)」から転訛したものという。天穂日命・武夷鳥命は出雲臣(いずものおみ)・土師連(はじのむらじ)らの祖であり、土師部が彼らの祖神を祀ったものと考えられる。また、无邪志国造(むさしのくにのみやつこ)をはじめとして古代関東には出雲臣系統の豪族が多く、それらとの関係も考えられる。

 境内には縄文から古墳時代にかけての複合遺跡である「鷲宮堀内(ほりのうち)遺跡」がもあり、式外社ではあるが、かなり古くから祭祀が行われていたことは間違いないだろう。なお、当社が初めて文献に登場するのは『吾妻鏡』である。

 中世以降は、関東の総社・関東鎮護の神社として、東国の武士たちから篤い崇敬を受けた。12世紀、太田庄の開発領主となった太田氏が当社を太田庄の総鎮守とし、庄内各地に分社が勧請された。

 鎌倉時代、太田庄は関東御領(将軍家の家領・将軍直轄地)になったらしく、これに伴って鷲宮は鎌倉幕府の尊崇を受けるようになった。『吾妻鏡(東鑑)』には、幕府による奉幣や神馬奉納の記事がたびたび見られる。

  • 建久4年(1193)11月、鷲宮の宝前に血が流れる凶事があった。占ったところ兵革の兆との結果が出たため、将軍・源頼朝は神馬を奉納し、血で汚れた社壇の荘厳を命じた。
  • 建長3年(1251)北条時頼が若宮別当法印隆弁を奉幣の使者として遣わし、神楽奉納を行う。
  • 建長4年(1252)将軍・宗尊親王(鎌倉幕府6代目)が無事に鎌倉へ到着した際にも、京の十六社や東国の諸社とともに奉幣・神馬の奉納を受ける。
  • 正応5年(1292)北条貞時によって社殿が造営。
  • 建武2年(1335)新田義貞が神馬を奉献。しかし同年、小山氏が箱根山の合戦で新田氏を破った戦功により太田庄を拝領。
  • 応安5年(1372)太田氏の流れを汲む小山氏は鷲宮を深く敬い、小山義政は社殿を再興、
  • 永和2年(1376)小山義政は太刀を奉納した(現・国重文)。しかし、義政は鎌倉府に背いて滅ぼされ、太田庄は鎌倉府の御料所となった。

 古河公方(こがくぼう)を称した足利成氏は当社を祈願所とし、以後、歴代の古河公方もこれに倣った。特に足利晴氏は社領への守護不入りと諸公事の免許、社領の寄進などを行っている。

 鷲宮の神主であった大内氏は鷲宮城主(粟原城)でもあり、在郷領主としての性格も備えていた。
 河越の合戦で足利晴氏が北条氏康に破れた後、古河公方は名目的な存在となり、太田庄も小田原北条氏の支配下に入った。氏康は鷲宮の社領を安堵し、大内氏も北条氏の配下に組み込まれて、その北関東攻略の兵站基地としての役割を担った。
 晴氏の子・義氏が没し、古河公方が名実ともに絶えると、北条氏は当社を祈願所とし、さらに社領を寄進している。

 江戸時代には徳川将軍家から篤い崇敬を受けた。天正19年(1591)11月、関東に入国した徳川家康は、当社に社領400石の神領を寄進し、歴代将軍も朱印状を発給して、これを安堵した(朱印地)。

 鷲宮には別当寺として大乗院を筆頭に万善寺・実相院・宝珠院・福伝坊などがあって両部神道による祭祀を主張し、唯一神道に一本化しようとする大内神主としばしば対立した。しかし、慶応4年(1868)の神仏判然令が出されると、大乗院は破却された。

 明治元年(1868)、神祇官直支配の准勅祭社に列した。旧社格は県社で、平成13年(2001)、神社本庁の別表神社に加列した。

 境内には八幡太郎義家駒繋ぎの桜や源頼朝お手植えの木斛(もっこく)(倒れた株を保存)などがあり、歴史を感じさせる。文化財も多く、小山義政が寄進した太刀(国指定重文)の他、銅鏡や古文書などが国・県指定文化財に指定されている。

 また、年に6回、神楽殿において奉納される「土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)」は関東神楽の源流とされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 

[鷲宮神社の写真とかとか]

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【鷲宮神社社殿正面】
参道からも見えるとおり、正面から横向きに聳えている。

 

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【鷲宮神社鳥居正面】
門前茶屋は古くからある家を使っており、近年改装工事をした。

 

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【鷲宮神社本殿】
なんと、鷲宮神社の本殿は二つある。
嘘である、右が鷲宮神社本殿。左が別宮神崎神社。神崎神社には大己貴命が祀られている。

 鷲宮神社は広く、鷲宮神社の森(県指定「ふるさとの森」)で鷲宮神社社叢ふるさとの森(埼玉県指定)となるほど広い。境内の中には、諏訪神社・久伊豆神社・姫宮神社・八幡神社・鹿島神社・粟島神社等々、様々の神社が一緒に存在している。態々、様々なところへお参りに行かずとも、一箇所ですべての願いがお願いできそうな所である。

*参考URL*
古今宗教研究所
=参考:

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『埼玉県の地名』(平凡社)

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鷲宮神社公式サイト
鷲宮神社 – Wikipedia

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