63年目の思い~日本降伏・終戦/敗戦の日~
1945年(昭和20年)8月15日正午。
日本国民及び陸海軍に天皇から、連合国側よりポツダム宣言の受諾と軍の降伏(無条件降伏)の決定が伝えられた。
日本が負けたことを国民が知った。
いや、もうわかっていたかもしれない。
第二次世界大戦は6年続いた。
世界で6000万人以上が死んだ。日本では300万以上が死んだ。10数億人が関わった。この戦争・・・。それでも、戦争は終わらない。
戦闘自体は9月4日までソビエト連邦と続いた。
ポツダム宣言の受諾通告と終戦の詔書の公布は8月14日に行われ、軍への正式な停戦命令が行われたのは翌8月16日であった。また休戦が発効し日本陸海軍が連合国軍に対して正式に降伏を行ったのはポツダム宣言受諾の休戦文書に調印した1945年9月2月であり(アメリカではこの日を対日戦勝記念日・VJデーとする。ソ連・中国では翌9月3日)、戦争終結は日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)が発効した(1952年4月28日)をもって国際法上の正式の日付とする(ただし、ソビエト連邦のようにこの条約に署名しなかった国については、相手国と日本が別途に講和条約またはそれに類する協定を結ぶまで戦争状態が継続したことになる)。
この玉音放送を阻止すべく、公布された8月14日に昭和天皇の肉声で録音されたテープを強奪・破棄し、天皇を暗殺し、幼い皇太子を新たに擁立することを計画していた。(所謂玉音盤強奪未遂事件、通称・宮城事件/8.15事件)。しかし、
二時間近い捜索にもかかわらず玉音盤は発見出来ず(女官の控室に保管されていた為に注意の他となった)、叛乱部隊は放送会館を武力占拠する事で放送自体を不可能にさせようとしたが、15日未明に第12方面軍司令官兼東部軍管区司令官田中静壱大将が状況を察知し、自ら部隊を説得、首謀者が自決するという結末に終った。そして、
阿南惟幾 (陸軍軍人,陸相) <58歳> 「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の遺書を残し割腹自殺。畑中健二・椎崎二郎 (陸軍軍人,8.15事件の首謀者) 皇居前で自決。
なお15日午前11時にも放送を中止する為、憲兵が放送会館に闖入する事件が起ったが、取押さえられた。
ちなみに、玉音放送の原音が聴きたい方は。
忘れてはならない。あの日を。日本が負けた、あの日を。63年経っても忘れないでほしい。知ってほしい。感じてほしい。そして考えてほしい。ヘイワの本当の意味を、そしてミライをイノチを、
黙祷。
「子供たちに、すべてを語りつかなければならない。
良い歴史も、負の歴史も・・・、」 with T,J
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