63年目のヒロシマへの原爆投下
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。
原子爆弾「リトルボーイ」がB-29(エノラ・ゲイ)によって投下されました。
広島市の中心地にあった島病院上空580メートルで炸裂。
爆心地付近では、人が影を残して消えた。人が真っ黒に焼け焦げ顔は愚か、性別まで分からなかった。3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負った。
爆風と衝撃波は凄まじく、爆心地付近の木造家屋はほとんど潰れ、人も潰された。でも、生きていた。そのまま火が広がるとともに、動けず焼け死んだ。人は飛ばされ、焼け焦げた木や家の残骸の立ち木に突き刺さったまま死んでいた。
体中にガラスが刺さり、目も耳も聞こえぬ者もいた。体から内臓や眼球が飛び出ていても気づかず歩く者もいた。皮膚が地面につくほど垂れ下がった者もいた。でも、生きていた。
全身真っ黒焼け焦げ、暑いのだろうか 「水を~水を~」と呻きながらさまよう者もいた。でも、生きていた。水を飲ませてやるとそのまま事切れた。
火から逃れる為に川や家の風呂に逃げる者いた。しかし、死んだ。水は煮えたぎる湯となり、熱さと怪我により動かない体でそのまま沈んでいった。
追い討ちをかけたのは枕崎台風である。1945年9月17日に広島を襲い、死者・行方不明者合計は、2000名を越える大惨事となった。
一瞬で数千人が消えた。一瞬で数万人が死んだ。年末までには十万人以上が死んだ。
広島、長崎両市での存命被爆者(今年3月末現在)は24万3692人で前年より8142人減少。平均年齢も75歳を超え75.14歳と、昨年よりも0.55歳高齢化した。
語り手はいなくなっていく。この1年間にヒロシマで死亡が確認された被爆者5302名。そして、死没者名簿を原爆慰霊碑に奉納し、広島の原爆死没者名簿は25万8310人となった。
核は何も生まない。唯、全てを消してしまう。命も絆も人の思いも壊す。
「しょうがない」じゃない、妥協はするな。
63年経っても忘れないでほしい。同情はいらない。ただ知ってほしい。感じてほしい。そして考えてほしい。ヘイワの本当の意味を、そしてミライをイノチを
黙祷。
「生きること、生き続けることが、重要なのだ。」 with T,J
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